2016年 05月 30日
明日から交流戦、ヤクルトは札幌ドームスタート!私の札幌ドーム遠征思い出の写真
もっかセ・リーグ最下位、借金5の東京ヤクルトスワローズは、
札幌ドームで北海道日本ハムファイターズとの3連戦から交流戦がスタートとなります。
昨年、ヤクルトは交流戦では8勝9敗1分けと、まずまずの成績を収めましたが、
果たして2016シーズンはどういう結果となるでしょう?
計算できる先発投手がいなく、このところ打線も冷えているヤクルトは、
リーグ戦以上に苦戦を強いられそうで、不安いっぱいです。
借金がこれ以上増えないよう、何とか持ちこたえてほしいと願います。
今回は、その交流戦の最初のカードとなる日本ハムファイターズの本拠地・札幌ドームに、
私が過去に遠征したときの思い出の写真をアップしたいと思います。
私が最初に札幌ドーム遠征をしたのは、2005年6月のセ・パ交流戦です。
ファイターズファンというよりは、以前から書いてますように、私はチームより選手個人のファンで、
阪神時代から大好きだった新庄剛志選手が、メジャーから日本に復帰後、
ファンサイトをやっていたこともあって、初めて札幌ドームに出かけました。
その初の札幌ドーム遠征で、
ラッキーなことに、ダルビッシュ投手のプロデビュー戦を観戦することができました。
これは、前もってわかっていたわけではなく、全くの偶然でした。
2005年6月15日です。
昨日、テキサスレンジャーズのダルビッシュ投手が、
肘の故障から1年9カ月ぶりとなる復帰登板で、5回1失点と好投し、見事に白星を飾りました。
おめでとうございます。2番手でバーネット投手が投げたのも感慨深いものがありました。
そのダルくん復帰勝利を祝して、まえにも当ブログに掲載しましたが、再度載せておきます。
初登板は2005年6月15日札幌ドーム交流戦。相手は広島東洋カープでした。
8回まで無失点で、あわや完封勝利寸前でしたが、
9回に新井貴浩選手、野村謙二郎選手にソロホームランを浴び、マウンドを降りました。
最後は、ヤクルトにも在籍していた橋本義隆投手が締め、8-2で見事プロ初登板初勝利を飾りました。
ダルビッシュ投手のデビュー戦をフラッシュで振り返って(携帯からは閲覧できません)
使用デジカメはPanasonic FZ-10(400万画素)なので画質はかなり落ちます。
野球観戦の写真を撮り始めたばかりの初期の写真なので、かなり下手です。
今もカメラの腕はさっぱり上がっていませんが。
以下も、同コンデジ撮影の写真です。
これ以降、何度も札幌遠征はしています。
最後の遠征となったのは、日本ハムファイターズが日本一になった試合です。
まずは、2006年9月26日 日本ハムファイターズが札幌移転後、初のリーグ優勝を決めた日
リーグ最終戦の先発は、ファイターズが武田勝投手、ソフトバンクホークスは和田毅投手
2-1とファイターズが1点リードの6回から2イニング、ダルビッシュ投手がリリーフ登板し、
150キロ台のストレート主体のピッチングで、きっちり0点に抑えます。
私は今でも、この時投げたダルくんの渾身のストレートが忘れられません。
その後、ファイターズは2点追加して4-1。
8回は武田久投手、9回はマイケル投手が締め、4-1でホークスを下し、
パ・リーグ優勝、そしてプレーオフ1位通過を決めました。
ゲームセットで笑顔で集まる外野3選手 森本、新庄、稲葉選手
ベンチ前で歓喜のハイタッチ 当時の抑えのキャッチャー中嶋聡捕手の姿が右端に
パ・リーグ優勝パネルを中央に、選手の集合写真 こちらはクリックで拡大します。
ダルビッシュ投手は右はし
試合後、新庄剛志選手の引退セレモニーがありました。
当日は、背番号1ではなく、本人の希望で、阪神デビュー時「63」の背番号のユニフォーム
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ここからはプレーオフ第2ステージ
(当時はクライマックスではなくプレーオフという名称でした)
2006年10月12日 スターメンオーダー
八木智哉投手と斉藤和巳投手の息詰まる投手戦となりました。
応援ボードで真っ赤に染まった札幌ドーム
9回まで0が並びます。
迎えた9回裏、先頭森本選手が四球で出ると、田中賢介選手がきっちり送ります。
小笠原選手は敬遠され、セギノール選手は三振に倒れ2死1、2塁。
ここで、この第2ステージ、まだヒットがなかった稲葉選手が、最後の最後で決めてくれました!
セカンドへの内野安打で1塁走者の小笠原選手が激走で2塁セーフ!
その間に、俊足の森本選手がホームインして劇的サヨナラ勝ち。
25年ぶりのファイターズの優勝が決まった瞬間でした。
私は何が起きたかわからないほど興奮しました。
最初は稲葉選手の打球はセカンドゴロだと思っていたので、それがガッツの激走でセーフとなり、
その上、まさか2塁から稀哲選手がホームインしているとは思いませんでした。
サヨナラで飛び出して来た選手たち
誰がどこにいるかもわからずシャッターを押しました。
ほとんどピンボケで何とか見られるものだけ。背番号41の稲葉篤紀選手の後ろ姿が見えます。
一方、斉藤和巳投手がマウンドに崩れ落ち号泣している姿は、ホテルに帰ってから知りました。
明暗くっきり、勝負の世界の非情さに胸が締め付けられました。
押本投手の姿が見えます。
パ・リーグ完全優勝、日本シリーズ進出を決めたヒルマン監督のインタビュー
「シンジラレナ~イ」
パ・リーグチャンピオンフラッグを前に集合記念撮影
新庄選手の左隣は当時ルーキーの川島慶三選手
こちらはクリックで拡大します。
優勝ペナントを持って場内一周
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ここからは日本シリーズ第5戦
2006年10月26日
スタメンオーダー
先発はダルビッシュ有投手と川上憲伸投手 第1戦と同じ投げ合いとなりました。
ちなみに、初戦は中日が勝っています。
大歓声に迎えられ、マウンドに向かうダルビッシュ投手
投手交代などの際、外野3選手がセンターに集まるお馴染みのシーン
ウィニングボールはレフトの森本稀哲選手がキャッチして、新庄選手とその場で抱き合います。
王手をかけた北海道日本ハムファイターズが4-1で中日を下し、
4勝1敗の圧勝で、44年ぶりの悲願の日本一を決めました。
日本一のチャンピオンフラッグを中央に、選手、スタッフ、関係者の集合記念写真
中央でカップを持っているのが川島慶三選手
こちらはクリックで拡大します。
場内一周
新庄選手は日本一を花道に現役を引退しました。
このあと、私は11月には札幌に優勝パレードも見に行きました。
当時はまだ50代だったので元気でした。
それ以降、札幌ドームには出かけていません。
以上、10年も前のつたない写真の数々でした。
by misty2011
| 2016-05-30 20:20
| パ・リーグ