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5月5日こどもの日に、東京ドームで、長嶋茂雄さんと松井秀喜さんの国民栄誉賞の授与式が盛大にとり行われました。

国民栄誉賞は昭和52年、当時の福田赳夫内閣総理大臣が、
本塁打世界記録を達成したプロ野球選手・王貞治選手を称えるために創設した賞で、
その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、
その栄誉を讃えること」と規定されています。

受賞第1号は、もちろん国民栄誉賞が創設されたきっかけともなった王貞治氏でした。
これまで22名と1団体(なでしこJAPAN)が受賞していますが、今回のようなW受賞は初のことです。


「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えること・・・」という本賞の趣旨からいうと、
長嶋茂雄さんほどこの賞にぴったりの方はいないと思います。

受賞者の中には、ちょっと・・・?と、ごり押しかと首をかしげる方もいて、
今まで長嶋さんが受賞しなかったのが不思議なくらいで、
私は、本来なら長嶋さんこそ第1号の受賞者に最もふさわしい方だと思っていたくらいです。

まあ、タイミングの問題もあったでしょうし、遅きに失した感は否めませんが、
長嶋さんがお元気なうちに授与することが出来て、本当に良かったと思います。

松井秀喜さんとのダブル受賞に関しては、私は当初、松井氏が辞退するのではないかと思っていたところもありました。
本人もそういう思いだったようですが、長嶋さんからの電話「一緒に行こう」で、気持ちが固まったそうですね。

表彰式の様子や、スピーチをテレビで見て、お二人一緒の受賞で良かったと心からそう思えました。
松井秀喜さんの挨拶は、謙虚で誠実で心に染み入る素晴らしいスピーチでした。
国民栄誉賞、おめでとうございます。


私は、戦後のベビーブーム、いわゆる団塊世代の1年後に生まれたほぼ団塊世代の60代のばあさんです。
うちの実家にテレビが来たのは昭和33年の秋でした。
この年に長嶋選手がデビューしています。

長嶋選手のデビュー戦は、現東京ヤクルトスワローズ、当時国鉄スワローズの金田正一投手から
4連続三振に斬ってとられるという衝撃のデビューでした。

この時はまだ実家にテレビがなかったので、当時、週末ごとに父親と一緒に出かけていた東映の映画館で
その映像を初めて見ました。

当時の東映はチャンバラ映画がメインで、萬屋錦之介さん(当時は中村錦之介)や大川橋蔵さんの若き時代、
また旗本退屈男で一世を風靡した市川歌右衛門さん(北大路欣也さんの実父)の映画などを楽しみに見ていました。
これがわかるのは60代以上の方たと思いますが(苦笑)。

当時は、日本映画が隆盛を極めていて、映画は最低でも2本立て、時には力道山のプロレス中継の映像なんかもありました。
映画の合間には、スポーツニュースの映像が結構時間をさいて映し出され、長嶋選手デビューの映像はそれで見たわけです。

昭和34年にかけては、34年4月に今の天皇皇后両陛下のご成婚パレードがテレビで中継され、
それに合わせるかのように、一般家庭のお茶の間にテレビが一気に普及した時代です。
「ALWAYS3丁目の夕日」の映画のシーンを思い浮かべて下されば、当時の家庭の様子がわかると思います。

テレビの普及とともに、野球中継がテレビで見られるようになり、その中でも魅せる長嶋茂雄選手のプレーは
巨人ファンの垣根を越えて、広く野球ファンをとりこにしました。
私もその中の一人です。

私は、父親の影響もあったんでしょう、チームとしては当時の野武士軍団、
知将・三原脩監督率いる西鉄ライオンズの大ファンでした。
その西鉄が、いわゆる「黒い霧」事件があって、その後チームは消滅。
今でも、西鉄以上に好きなチームはなくて、私はどうもチームではなく、
選手個人のほうに目が向く傾向にある野球ファになったのは、そのせいかと思っています。

昭和33年(1958年)の、3連敗から4連勝して西鉄が日本一になった日本シリーズはラジオで聴き、
映像は直後に行った映画館で見たと思います。
「神様・仏様・稲尾様」の名フレーズが生まれたあの日本シリーズです。


野球中継のテレビ放送は、地方の県だったので、見ることができるチャンネルは、NHKのほかには
日テレと、TBS、テレ朝くらいで、フジテレビなんかは私が東京に出てくるまで、見たことがありませんでした。
当然、野球中継イコール巨人戦なんです。パ・リーグの試合は、たまにNHKで見るくらいでした。

私は安部首相と同じくアンチ巨人でしたが、長嶋選手だけは大好きでした。
とにかく明るくて華があって、野球の楽しさ、面白さを体いっぱいで表現してくれた太陽のようなプレーヤーでした。

誰もが長嶋選手の一挙手一投足に心踊らされ、どれだけ笑顔になったことか。
巨人は応援できなくても、長嶋さんだけは別格、私にとっては愛してやまない存在でした。
今の若い方々に、現役時代の長嶋さんを是非見せてあげたかったと思いますね。

また、時代が違うと言えばそれまでですが、昭和30年代は私がまだ小学生だったせいか、
野球そのものも今より面白かったと思います。
いまより環境が悪い中、骨のある選手が多く、ピッチャーだと連投は当たり前の時代でした。
投手対打者の名勝負もたくさんありました。

今は、選手がスマートになってボツ個性、優等生が多くて、何か面白みに欠けます。
国民のだれからも愛される真のスーパースターが出てきませんものね。


長嶋さんのことをよく「記録より記憶に残る選手」と言いますが、確かにそうなんですが、
実は記録だって物凄いんです。
首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、最多安打10回、リーグMVP5回、そして日本シリーズのMVPは4回。
こんな選手、もう二度と出ないでしょう。


2004年に脳梗塞の病に倒れ、それからは長くて厳しいリハビリの毎日を送られ、それでも一切弱音を吐かず
この間の9年間でリハビリをお休みしたのは、大雪の日と、風邪をひかれたわずか2日だけだそうですね。

当初、脳梗塞は重度の症状だったとのことで、ここまで回復されるのは奇跡的なことだそうです。
これも長嶋さんの持っている前向きな精神と、努力の賜物なんでしょうね。
ミスタープロ野球が、麻痺したお体で人前に出るのは、普通ならためらうところですが、
長嶋さんはそれを逆に捉え、リハビリへの情熱に注がれました。

授賞式のお姿を拝見して、私は滅多な事では泣かない人なんですが、涙が止まりませんでした。
偉大な国民的なスーパースター、長嶋さんが、これからもますますお元気でいらっしゃることを心よりお祈りしています。
by misty2011 | 2013-05-07 12:30 | セ・リーグ