2018年 07月 05日
明日からナゴヤドーム3連戦、過去に遠征した2011.11.06CS 懐かしのフォト
結局、広島カープとの3連戦は1試合だけに終わりました。
青木宣親選手が抹消となり、2番青木選手不在の打線の穴は想像以上に大きく、
試合が中止となったのは、ヤクルトにとっては、よかったのかもしれません。
ただ、そのぶん、シーズン終盤には過密日程になるので、それも大変なことですね。
試合がなく、今日は書くことも思いつかないので、
当ブログを始めてから、わずか一度だけの遠征となった
ナゴヤドームの懐かしのフォトでもアップしておきます。
私が出かけたのは2011年11月6日、
ナゴヤドームでのクライマックス・ファイナルステージ第5戦目です。
中日に1勝のアドバンテージがあり、ヤクルトは2勝3敗と王手をかけられたあの試合です。
吉見一起投手と館山昌平投手との息詰まる投手戦となり、
館山投手が井端選手に2ランホームランを浴び、1-2で惜敗し、
中日がCS制覇となりました。
負けた時の脱力感は、言葉にならないくらい、それこそ半端なかったですね・・・。
当日の観戦レポは ナゴヤD参戦 最後まで打線が奮わずヤクルト終焉 この悔しさをバネに来季こそ!!
当時の練習中、また試合から何枚かピックアップします。
まずは練習中より
来日1年目のバレンティン選手 当時は今より細いですね。
背番号1の青木宣親選手
現役当時の宮本慎也選手
CSファイナルステージ第2戦(11月3日)で、
レギュラーシーズンでも出番がなかったルーキー山田哲人選手が、
いきなりクライマックス・ファイナルステージでプロ初出場
しかも、1番ショートスタメンの衝撃デビューとなった山田哲人選手
19歳のあどけない笑顔が可愛らしい山田くん 戸田焼けで黒いですね。
山田くんは4戦目で川井投手からタイムリー2塁打を放ち、
浅尾投手からヒットを打つなど、当時から非凡なものを見せていました。
当時、山田哲人選手はローリングスのグラブを使用していました。
先発は中日が吉見一起投手、 ヤクルトは館山昌平投手
両チームのスタメン 山田くんは、この日はスタメンではありませんでした。
ナゴヤドームでは抜群の安定感だった吉見投手
血行障害、中2日の悪条件で、チームのためにギリギリの状態で先発した館山投手
6回、四球の荒木選手を一塁に置いて、井端選手がレフトスタンドへ2ランホームラン
館山投手が当日打たれたわずか3安打目が、決勝打となりました。
打たれた直後、真っ先にマウンドに向かった宮本選手
無念の降板となった館山投手
下を向くことなく、毅然とした姿が目に焼き付いています。
いま思い出してもジーンとします。
2点を追いかける9回、2塁打を打った代打・川本良平選手を置いて、
岩瀬投手から青木宣親選手がタイムリーヒットを放ち、ヤクルトが1点かえしますが、
最後は、浅尾投手の前に畠山選手が三邪飛に倒れゲームセット
1-2で惜しくも敗れ、日本シリーズ進出は叶いませんでした。
青木選手はメジャー移籍前、これがヤクルト最後の打席となりました。
落合監督の胴上げ 日本シリーズはソフトバンクホークスに3勝4敗で敗れました。
私は、5戦目、6戦目のチケットを用意していましたが、6戦目は払い戻しとなりました。
日本シリーズ進出を願い、福岡ドームのチケットとホテルも用意していましたが、
すべてキャンセルとなりました。
私がナゴヤドームに出かけたのは、前のサイトで1回と、この時の2回だけ。
当時は還暦を迎えた60歳で、そしてこれが最後のナゴヤドームでした。
もう歳なので、今は神宮に出かけるのも混んでいておっくうになり、
キャンプは出かけていますが、試合で地方遠征する元気はなくなりました。
中日ドラゴンズは当時から比べると、随分弱くなりましたね。
落合竜が強かっただけに、寂しく感じます。
果たして、今後、ヤクルトと中日がCSで戦うことはあるでしょうか?
もしあったなら、その時は、この時の借りを返してほしいと強く願います。
by misty2011
| 2018-07-05 17:53
| 東京ヤクルトスワローズ